いろいろ思ったことをぼちぼちと。さまざま感じたことをつらつらと。
障害を作っているのは社会や人 & 元障害者差別
2007年04月23日 (月) | 編集 |
sister.jpgルカによる福音書23章34節

「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです」

     十字架上にて イエス

シスターマリア・ルカっちです。

“障害者差別ある”80%超 NHKニュース 4/8

この調査は、内閣府が、ことし2月、全国の20歳以上の人3000人を対象に行い、61%にあたる1815人が回答しました。

それによりますと、世の中に障害がある人に対して差別や偏見があるかどうかについて、「あると思う」と答えた人が52%、「少しはあると思う」と答えた人が31%で、あわせて83%に上りました。

これに対し、「ないと思う」と答えた人は15%でした。「差別や偏見がある」と答えた人に「5年前と比べて改善されたと思うか」と尋ねたところ、「改善されている」が57%、「改善されていない」が35%となっています。

また、障害のある人のために企業や民間団体が行う活動として期待することを複数回答で尋ねたところ、「障害のある人の雇用の促進」が64%、「障害者になっても継続して働ける体制の整備」が58%、「障害のある人に配慮した事業所の改善・整備」が46%などとなっています。


この記事を読んで色々な思いがめぐりました。まず、

世の中に障害がある人に対して差別や偏見があるかどうか

という質問ですが、これ自体、意味がないように感じたんですね。
だって、「ある」でしょ。ゼロなわけないじゃん。

それにまた、回答が「あると思う」などの「体感」なわけです。実際の雇用状況などを調べた結果の数値でなく、前にも確か、給食費の記事で、給食費を納めない人が増えたと思うか。という新聞記事があったと思うのですが、実際の数値ではなくて、「体感」を調べる意味って何でしょう。

「ないと思う」と答えた人は15%

と、答えた人がいるというのは少々驚きです。善良すぎて世の中がバラ色に見えているのか、無関心過ぎて障害者スルーがゆえなのか。まぁ、「周囲にはない」という体感なのかもしれません。

また、

「5年前と比べて改善されたと思うか」

などとも内閣府は聞いているわけですが、何ゆえに5年前?
それに、一般の人が5年前の障害者の状況を把握しているとは思えないんですけど。。

また、実際に「障害者」に聞けばいいものをなぜに全国の20歳以上の人3000人を対象にしたんでしょう。

考えれば考えるほど、意味のないアンケートに感じて来ます。

障害のある人のために企業や民間団体が行う活動として期待することについては、

「障害のある人の雇用の促進」が64%
「障害者になっても継続して働ける体制の整備」が58%
「障害のある人に配慮した事業所の改善・整備」が46%


とありますが、複数回答可にもかかわらず、この数値ということは、「障害のある人の雇用の促進」や「障害者になっても継続して働ける体制の整備」や「障害のある人に配慮した事業所の改善・整備」など、いらない。という人もいるわけですね。

障害者は働かなくても生きて行けるようにした方がいい。とお考えの方もいるでしょうし、職場に障害者がいるのはいやだ。という人や、自分は絶対に障害者になどならないと思っての人もいるでしょう。

もしくは、完璧に整備された街や会社に居るがゆえに、これ以上期待していない。ということなのでしょうか。そうだとしたら、ねぇ、どこどこ?

働く事は「権利」だと思うので、「働きたい」と思っている人がいるならば、その場所の提供は必要だと思います。

過去のエントリーから、お気づきの方はお気づき、お気づきでない方はお気づきでないと思いますが、私は遠藤周作さんの著作からキリスト教に興味をもち、洗礼を受けた一応ローマ・カトリックのキリスト者です。本来、組織に属すのは嫌いなのですが、洗礼を受けたのは、シスターになりたかったからです。

親の居ない子の世話とか、まぁ、困ってる人のために働きたかったわけです。

意外に思われるかもしれませんが、カトリックは簡単に洗礼を受けさせてくれません。最低でも一年は入門講座に通い、聖書や教理の勉強をして、面接をして入門式をして、面接をして洗礼志願式をして、面接をしてやっと洗礼式になるんです。

面接と言っても、落とすための試験ではなくて「なぜ受けたいのか」という動機や「ちゃんと理解しているか」などを確認されるものなのですが、まだと判断されれば、「もう少し勉強しましょう」とあいなるわけですが、えー1年通いました。往復4時間かけて上智大学まで。

そして、晴れて洗礼を受けたのですが、修道会に入るには、会にもよりますが洗礼から3年ほど期間がいるんですね。気が遠くなりますが、私はその間に病気をがんばって治しました。障害者じゃなくなったわけです!やったー。

で、どこの修道会に入るかです。いっぱい星の数ほどあります。その頃には、シスターといっても色々な仕事があるのが、だんだんわかってきました。

教誨師になって、受刑者や死刑囚の慰問に行ったり、支援したりする人たちもいます。(男性受刑者の聖書の授業では、お花を持って行くと意外に皆さん顔が和らいで喜ぶそうです。)

カトリック系の学校の先生や、哲学者や神学者や聖書学者、たまに神学に関係のない教授になる人もいますし、幼稚園の先生になる人、お医者さんや看護師さんになる人、ホスピスやターミナルケア(終末期医療)でスピリチュアルケアに携わる人、乳児院で赤ちゃんを育てる人、養護施設で子どもを育てる人、芸術作品を創る人、ロザリオなどの聖品を作る人。

DVや親からの虐待から逃げて来た人たちが、生活できるようになるまで保護する人もいます。アフリカでエイズの患者さんをお世話する人、外国のお医者さんのいない小さな村で授産を助けるために働く人、マザー・テレサのように「貧しい人の中で最も貧しい人のために」働く人、自給自足で世界の為に祈る人、出版物を通じて世界の情報を発信したり福音を伝える人もいます。

どこの修道会に入ったら良いかわかりませんでした。私は、長文は苦手ですが、何か書いたり、考えたり、アイデアを出したり、作ったりすることは好きです。写真で賞をもらったり、ポスターのデザインをしていたこともあります。

ボンビなので服も自分でたまに作るし、手先は器用な方なので髪も自分でカットします。なので、無理せず得意分野を生かした方がいいかも。ということで、何か作っているところをまずあたることにしました。

最初に、母がよく行っていて顔見知りの方のいる、出版関係を主にしているJ会に電話してみよう。ということになりました。

それに、その会の召命(修道者に導かれること)担当の方が、母と顔見知りで、私が病気だったことも知っていたからですね。いつも笑顔で親切な人だと母から聞いていたのです。

まず、お話をするアポイントを取るために、電話しました。細かく、自分が何と言ったか覚えていませんが、たぶん、こんな感じでしょう。「入会のことでお電話したのですが。○○と言います。召命担当の方、お願いします」受付のシスターが親切に、そのシスターにつなげてくださいました。緊張して待っていると、受話器を取る音が聞えました。そして開口一番、

「いりません」

ガチャ。

ツー。ツー。

るかっち、になった瞬間でし。。

びっくりした母は、再度電話しました。会議中とのことでしたが、受付のシスターがとても親切で、再度つなげてくれました。母の話では、よくわからない言い訳を冷たく言い放って、さっさと切られたそうです。それはそれは、いつものシスターとは全然態度が違ったそうです。

そこで、障害者ケア専門のK神父に電話しました。このように言われたのですが。と。「アポイント取らなきゃダメでしょう」と言うので、「そのために電話したのですが」と言いましたら、「障害者の修道会じゃだめなの?」と言われました。

だめということはないですが、もう「障害者」じゃないわけでして。。一度障害者になったら、治っても永遠に障害者として生きていかなくてはならないのか。。
みなさん、今、シスターの人たちだって、完全に健康な人ばかりではないのに。。などなどぐるぐるまわりました。

それにこのK神父様は以前、とある講演会で「心身ともに健康な人などこの世にいません」と言っていたのです。その言葉に勇気をもらったりもしていたのですが。

だいたい正式なシスターになるには、希望者、志願者、修練者、有期誓願者、終生誓願と、8年〜10年はかかるので、そんな苦労はさせられない。との思いやりだったのでしょうか。

「いらない」からは、その感情は全く伝わりませんでしたが。

ちなみに、神父さんになるには、10年〜15年。中には世界中で勉強したがゆえに24年て人もいました。かなり時間が掛かります。40代50代は若手の世界です。

とはいえ、だからと言って、私が尊敬できる神父様は、森司教、高円寺の晴佐久神父、釜ヶ崎の本田神父、本田神父本田神父あ、三人でし。。まぁ、そんなものなんでしょう。

敬愛する遠藤周作さんも言ってます。
「キリストとキリスト教とキリスト教徒は違う」と。

もちろん他の修道会も回りましたが、歓迎されていない感じ。やんわり「いらない」感は漂い。。電話をする。と言われて、掛かって来た事はありません。自分のことを素直に言ったのが悪かったのかもしれません。

まさか「障害者差別」だけでなく「元障害者差別」まであるとは思いもしませんでした。

最初のJ会の出版社で発行している雑誌で「格差」や「差別」などが取り上げられていると、私はどう反応して良いのかわからなくなります。

今でもシスターに未練を感じますが、生きる目標もなくなり、そのせいかは知りませんが病気は再発し、「なんだか教会って私みたいな人間が行くようなところじゃないのかなぁ」と、カトリック自体は、好きなところ、惹かれるところは、今でも変わらないんですけど。。場違いな気がして、足を運ぶのに気が引けます。

キリスト教徒というより、イエス教徒の生活をし、母も教会から足が遠のいている今日この頃です。

そうですね。確かに「いらない」かもしれません。

だって、

るかっちもるかっちのこといらないもん


4年の努力が6等星の星になって、今日も夜空に輝いています。。

さぁ、るかっちの人生どうなるのか!To be continued.


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今は私服のシスターも多いの。。