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アロンソ・カーノ-キリストとサマリアの女-「治す」と「癒す」
2007年03月11日 (日) | 編集 |
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今日のお題は
アロンソ・カーノ作
-キリストとサマリアの女-


この絵は、
ヨハネによる福音書 / 4章6節〜

イエスは旅に疲れて、そのまま井戸のそばに座っておられた。正午ごろのことである。
サマリアの女が水をくみに来た。イエスは、「水を飲ませてください」と言われた。


その瞬間の場面だ。

すると、サマリアの女は、「ユダヤ人のあなたがサマリアの女のわたしに、どうして水を飲ませてほしいと頼むのですか」と言った。

なぜそんなことを聞いたかというと、当時ユダヤ人は純血でないサマリア人を軽蔑していたので、水を汲む器さえ共有することがなかったからなのです。

ユダヤ人であるイエスが、サマリア人である自分に話しかけたことに驚いたんですね。

その後、イエスは「あなたには五人の夫がいたが、今連れ添っているのは夫ではない」と、過去五回結婚し、今も正式な結婚をしていない男性がいることを言い当てます。

当時、井戸汲みというのは朝と夕、涼しい時間にするのが習慣でした。なのに昼に井戸汲みにやってきた様子から、日頃周囲から白い目で見られていて、人目を避けてやって来たのであろう事が読み取れます。

しかし、イエスはサマリア人であることにも、正式な結婚をしていないことに対しても軽蔑も説教もしませんでした。

なに人であるとか、どんな過去を持っているかなど関係なく、当時は特に女性差別の強い時代でもある時に、その場にいる「一人の人間」として対話してくれた。

これはとても感動したのではないでしょうか。
もしかしたら、過去の辛い思いも癒されたかもしれません。

「受け入れられる」という経験は、人の心を元気にする必需品のようなものだと思います。

聖書にはイエスが病人を癒す場面がいくつかあります。

はて? なぜ「癒す」なのだ、と疑問に思うのです。

普通ならば「治す」と書くでしょう。

「病気を治す」と。

しかし書かれているのは、

「病気を癒す」なのです。

んで、考えてみました。

「癒」

この字が使われる時は、大抵「心を癒す」「心の癒し」など、心についての時が多い。

病気の人がもっとも辛いのは、孤独だという。

痛みを分かち合えない孤独。邪魔者になっているのではないかという孤独。周囲に遅れをとってしまうという孤独。

色んな孤独があると思います。マザーテレサも現代で最も深刻な病は「孤独」だと言っています。

当時のユダヤでは、病は当人の罪によるものと思われていたので、病気になったら最後。家族と離れ、一人ひっそりと墓地などで死ぬのを待つしかありませんでした。

道を歩くときは音を鳴らして、人々が家の中に逃げられるようにしなくてはならなかったのです。その孤独は相当なものでしょう。

それが、ある一人の人間に、「あなたの病は罪が原因なのではない」、と言われ、受け入れられ、目に見えない心の部分を理解してもらったことで、心が癒え、そしてその結果、病が治ったのではないか。だからこの記述になったのかもしれません。心が体に及ぼす影響はとても大きいですよね。

つまり
治す」は病気(身体)に重点が置かれていて
癒す」は心(精神)に重点が置かれている言葉

なのでしょう。

そして
治癒とは、その両方が揃って初めて成し遂げられるものなのだと思います。

日本の医療もぜひ「治癒」を目指してほしいですね。

自立支援法という名の自立阻害法では心は癒えないよなぁ。
期限が決まってるリハビリなんて、安心してリハビリに集中できないよなぁ。
死ね。とばかりな政策ばかりじゃ、健康なとこまで病に侵されそうだ。と、元病人は思うのでした。


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