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2007-01-21(Sun)

ピエタ 哀しさと美しさ

1506it4.jpgわたしはイタリアが好きだ。
食と芸術がいいっ。
わたしが世界中で一番好きな芸術作品
「ピエタ」が、ローマ市の中にある世界最小のバーチャル国家「バチカン(ヴァチカン)」のサンピエトロ大聖堂にある。

ピエタとは、イタリア語で「哀悼」「敬虔」「慈悲」などの意味で、十字架から降ろされたキリストを抱く聖母マリアの彫刻や絵のこと。だから、「ピエタ」は、この世にいーーーっぱいあるのだけど、ミケランジェロの4体ある「ピエタ」のうちでも、
TOP OF TOPS ,KING OF KINGS はやっぱりこのピエタ。

クリックすると拡大されます。
12.jpg
これは、ミケランジェロが24歳の時の作品で、大理石を彫ってるとは思えないほど柔らかい。

浮き出る血管、筋肉の描写まで見られるのだ。

公開された当時、その素晴らしさはローマ中にあっ!という間に広まって、誰が作者か噂されてるのを耳にしたミケランジェロは、夜中にそっと忍び込んで帯に署名を彫ったそうだ。
「ミケランジェロ作」と。

このピエタには嘘が2つある。

一つは、マリアが若すぎること。イエスが亡くなったのは33歳ぐらいだから、14歳ぐらいに産んでいるのから計算すると、当時約47歳だ。それにしては、20歳くらいにしか見えない。それは当時も批判されて、

「貞淑な女性は若さを保てるのだ」

と、納得していいのかわからない反論をしたという。

もう一つは、マリアの大きさ。
このままマリアが立ったと想像してみてみて。

で、デカっ。

マリアでかっ。そうなのだ。ありえないでかさなのだ。
計算では、2mを超すという。イエスよりでかい。

それを批判されたミケランジェロは、

「母は偉大なのだ」

と言ったとか言わないとか。どっち?

ほ~と言っていいのか、へ理屈だ!と言っていいのか。

この言葉は、私の記憶にはあるんだけど、資料を探してもないので、私の創作?
私ならありえるわ。ヽ(^▽)ノ キャハハハハ m(__)m
                    とっても拡大されます
Pieta-rightview.jpgやはりこの作品の一番の魅力は哀しみに耐えるマリアの静かな表情だ。

イエスが連行された時、他の弟子たちは皆逃げてしまった。裏切ったのはユダだけでなく、一番弟子だったペトロも、イエスの預言どおり三度、
「イエスなんか知らない」と言った。
人間は弱い。イエスはそんなペトロも赦す。

気丈に最後まで側にいたのは母マリアとマグダラのマリア、のちに「ヨハネによる福音書」を手がける少年ヨハネだけだった。
そんなイエスの最期をどんな気持ちで見ていたのだろうか。

イエスがマリアの手に戻ったのは、息絶えた後だった。静かな哀しみの中にある何とも言えない美しさに心が動かされる。


125px-Flag_of_the_Vatican_City.svg.png





Pieta Domini.
主のピエタ (ラテン語はたぶん)





うちにあるちっちゃいピエタ









どのくらいの大きさか、
ワンコと比べてみましょう。





pieta-dog.jpg





んで、
ワンコがどのくらいかというと、







dog5cm.jpg







5cmくらいですね。








だから、ちっちゃいピエタは、、、






pieta-dog.jpg






10cmくらい?







最初からピエタ計れば良かった!




※ご参考に

ミケランジェロ-ピエタ-

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2007-03-04(Sun)

善き牧者としての幼児キリスト すべてを見通す目

murillo_buen01.jpg新日曜るかっち美術館へようこそ。

今日のお題は
ムリーリョ作
 -善き牧者としての幼児キリスト-


聖書にイエスの子ども時代の記述は少なく、
「ルカによる福音書」に1つあるだけ。
                   クリックすると多少拡大。
当時12歳のイエスのエピソード。

マリアとヨセフは過越し祭のためにエルサレムへ来ていた。
イエスも父親から様々な習慣や儀式を学ぶために同伴していた。

しかし、祭りの期間が終わってナザレの帰路についたとき、両親はイエスがいない事に気付く。

マリアとヨセフはイエスを探しているうちに、とうとうエルサレムまで戻り、神殿でイエスを見付け出す。

イエスは何をしていたかというと、律法学者たちの中心で教理について議論をしていたという。

律法学者たちは、イエスの知恵と雄弁さに「気を失うほど驚いて」いたそうだ。

のちの「律法の為に人があるのではない、 人の為に律法があるのだ」

との主旨である、

マルコによる福音書 2章 27節
「安息日は、人のために定められた。人が安息日のためにあるのではない」

という言葉は、この時の議論も生きたのかもしれない。

私はこの考え方がどぅあーいすきなので、イエスが好きだ。

見つけ出したマリアは

「なぜこんなことをしてくれたのです。御覧なさい。お父さんもわたしも心配して捜していたのです」と言った。

しかしイエスは、

「どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか」と答えた。

つまり、神の子が居る場所といえば神の場所しかないではないですか。ということだ。

しかし、両親にはイエスの言葉の意味が分からなかった。

自分の子がやがて重要な役割を果たす神の子だとは思ってもいなかったからだ。

そりゃそうだわな。

そう言われたマリアはどうしたかと言うと、

「母はこれらのことをすべて心に納めていた」という。

マリアはイエスが言った言葉を理解できませんでした。でも、

「私にはわからない、この子にしかわからないことがあるんだわ」

と、そっと心を鎮めたのだろう。

理解ができなくても受け入れ、信じる。なかなか難しい親の態度ですね。

また、この話はイエスが子どもの頃から利発だった様子が伺えるエピソードでもある。

jeeye.jpgこの絵の魅力は、幼児イエスの目だろう。

威厳のある目。
物事のすべてを見透かすような目。

私の心もお見通し?!

いやー(/▽)ノ はじかち、はじかち。
穴があったら入りたい!

もぐらの気持ちがよくわかる!

家に飾ってあるこの絵が目に入ると、襟を立たせて風に吹かれる~ぴゅう~じゃなくて、襟を正さねば。という気持ちになるのだった。たまに。



ぼくも思わずひれ伏しちゃう!
hire.jpg
しえー、お赦しくださいー。






hire.jpg



ん?





寝てるでしょ。


hire.jpg




プー父さんは、毎日毎日、キヤ/ンの工場で、偽装請負のしごとをしています。
偽装請負なので、最低限の保障すらありません。
ぼくは、父さんが僕たちや母さんや介護の必要なおばあちゃんのために働いていることを知っています。

夜中に物音がしたので起きたら、父さんが床に倒れていました。
息をしていたので安心して、毛布をかけてあげました。
長生きしてね、父さん。

  



zzz.jpg


泣ける話になってんじゃん。


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2007-03-11(Sun)

アロンソ・カーノ-キリストとサマリアの女-「治す」と「癒す」

新日曜るかっち美術館へようこそ。   クリックすると多少拡大
cano_samaritana01.jpg
今日のお題は
アロンソ・カーノ作
-キリストとサマリアの女-


この絵は、
ヨハネによる福音書 / 4章6節~

イエスは旅に疲れて、そのまま井戸のそばに座っておられた。正午ごろのことである。
サマリアの女が水をくみに来た。イエスは、「水を飲ませてください」と言われた。


その瞬間の場面だ。

すると、サマリアの女は、「ユダヤ人のあなたがサマリアの女のわたしに、どうして水を飲ませてほしいと頼むのですか」と言った。

なぜそんなことを聞いたかというと、当時ユダヤ人は純血でないサマリア人を軽蔑していたので、水を汲む器さえ共有することがなかったからなのです。

ユダヤ人であるイエスが、サマリア人である自分に話しかけたことに驚いたんですね。

その後、イエスは「あなたには五人の夫がいたが、今連れ添っているのは夫ではない」と、過去五回結婚し、今も正式な結婚をしていない男性がいることを言い当てます。

当時、井戸汲みというのは朝と夕、涼しい時間にするのが習慣でした。なのに昼に井戸汲みにやってきた様子から、日頃周囲から白い目で見られていて、人目を避けてやって来たのであろう事が読み取れます。

しかし、イエスはサマリア人であることにも、正式な結婚をしていないことに対しても軽蔑も説教もしませんでした。

なに人であるとか、どんな過去を持っているかなど関係なく、当時は特に女性差別の強い時代でもある時に、その場にいる「一人の人間」として対話してくれた。

これはとても感動したのではないでしょうか。
もしかしたら、過去の辛い思いも癒されたかもしれません。

「受け入れられる」という経験は、人の心を元気にする必需品のようなものだと思います。

聖書にはイエスが病人を癒す場面がいくつかあります。

はて? なぜ「癒す」なのだ、と疑問に思うのです。

普通ならば「治す」と書くでしょう。

「病気を治す」と。

しかし書かれているのは、

「病気を癒す」なのです。

んで、考えてみました。

「癒」

この字が使われる時は、大抵「心を癒す」「心の癒し」など、心についての時が多い。

病気の人がもっとも辛いのは、孤独だという。

痛みを分かち合えない孤独。邪魔者になっているのではないかという孤独。周囲に遅れをとってしまうという孤独。

色んな孤独があると思います。マザーテレサも現代で最も深刻な病は「孤独」だと言っています。

当時のユダヤでは、病は当人の罪によるものと思われていたので、病気になったら最後。家族と離れ、一人ひっそりと墓地などで死ぬのを待つしかありませんでした。

道を歩くときは音を鳴らして、人々が家の中に逃げられるようにしなくてはならなかったのです。その孤独は相当なものでしょう。

それが、ある一人の人間に、「あなたの病は罪が原因なのではない」、と言われ、受け入れられ、目に見えない心の部分を理解してもらったことで、心が癒え、そしてその結果、病が治ったのではないか。だからこの記述になったのかもしれません。心が体に及ぼす影響はとても大きいですよね。

つまり
治す」は病気(身体)に重点が置かれていて
癒す」は心(精神)に重点が置かれている言葉

なのでしょう。

そして
治癒とは、その両方が揃って初めて成し遂げられるものなのだと思います。

日本の医療もぜひ「治癒」を目指してほしいですね。

自立支援法という名の自立阻害法では心は癒えないよなぁ。
期限が決まってるリハビリなんて、安心してリハビリに集中できないよなぁ。
死ね。とばかりな政策ばかりじゃ、健康なとこまで病に侵されそうだ。と、元病人は思うのでした。


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  - ムリーリョ作 善き牧者としての幼児キリスト-


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2007-03-25(Sun)

カラヴァッジョ作 - 慈悲の七つのおこない

新日曜るかっち美術館へようこそ。

今日のお題は
caravaggio_misericordia01.jpgカラヴァッジョ作
- 慈悲の七つのおこない


カラヴァッジョの全作品中、最も複雑な構図で描かれたこの絵には、以下の7つが一つの絵に入っています。

食物の施与

飲物の施与

旅人の歓待

衣服の施与

病気の治癒

囚人の慰問

死者の埋葬


こちらにそれぞれのアップの絵があります。

聖書の部分を抜き出してみると、


マタイによる福音書 / 25章 34節~

『さあ、わたしの父に祝福された人たち、天地創造の時からお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい。

お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ

のどが渇いていたときに飲ませ

旅をしていたときに宿を貸し

裸のときに着せ

病気のときに見舞い

牢にいたときに訪ねてくれたからだ。』

主よ、いつわたしたちは、飢えておられるのを見て食べ物を差し上げ、のどが渇いておられるのを見て飲み物を差し上げたでしょうか。

いつ、旅をしておられるのを見てお宿を貸し、裸でおられるのを見てお着せしたでしょうか。いつ、病気をなさったり、牢におられたりするのを見て、お訪ねしたでしょうか。』

『はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。


と、あります。

死者の埋葬はこの中には入っていないけれど、この後の章に


マタイによる福音書 / 26章 12節
この人はわたしの体に香油を注いで、わたしを葬る準備をしてくれた。


とあるので、キリスト教にとって完全数である「7」になるように、付け加えたのでは。と、るかっちは勝手に解釈してます。

わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。

というのは、この7つにあるような人たちに慈悲の行いをするということは、イエスにしたことと同じですよ。

わたし(イエス)を愛していると言いながら、このような人たちを無下に扱うならば、私を無下に扱ったのと同じであり、それは愛していることにはならない。つまり、偽善ですよ。ということでしょう。

最も小さい者と、自分を同化するというのは、誰よりもみじめな死を受け入れた人らしいな、と思います。

私が最初に読んで驚いたのは、「牢にいる時も」が入っていたことです。

当時は、「犯罪者」というのは自分とは違う絶対的に徹底的に断罪されるべき「人種」であり、「慈悲」の必要な人たちだとは思いもしなかったのです。るかっち幼かったでし。。

この絵を描いたカラヴァッジョとはどういう人物なのでしょうか。

1573年にイタリアに生まれ、本名はミケランジェロ・メリージ (Michelangelo Merisi)といいます。

すでに画家として名声を得ていた35歳の時、喧嘩の末に相手を刺し殺し、逃亡生活を余儀なくされました。

そして、逃亡先で『洗礼者聖ヨハネの斬首』を描き、ローマ法王庁に送付して殺人罪の恩赦を願うのですが、間もなく熱病のためにこの世を去りました。享年38歳でした。

カラヴァッジョは、光と闇の画家と言われていて、「闇といえばカラヴァッジョ」と私が勝手に呼んでいる画家です。

カラヴァッジョは幼少の頃から頻繁に、ペストで死にゆく人々や公開処刑をよく目の当たりにしていたそうです。殺害する場面を多く描いたのはそのせいでしょうか。

とにかく、カラヴァッジョの描く絵は暗いのです。思わず懐中電灯を探しそうになるくらいの部分が多い作品ばかりです。

そしてそのを描く方法なのですが、一度完成させた絵の上から黒で塗りつぶしていくという方法を取っています。

一度描いた絵を黒で塗りつぶしていくなんて、もったいないし、間違えたら取り返しがつかないし、通常では躊躇してしまいそうですが、やりすぎじゃない?というくらいカラヴァッジョは闇を塗り込んでいきます。

精神状態が垣間みれるような気がしますね。人生に落とした闇と作品が見事にリンクしています。

その闇が晴れることなく、この世を去ることになったことが悔やまれます。



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るかっち美術館
  - アロンソ・カーノ作 キリストとサマリアの女
 「治す」と「癒す」


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  - ムリーリョ作 善き牧者としての幼児キリスト


るかっち美術館
  - ミケランジェロ作 ピエタ



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2007-04-22(Sun)

レンブラント作 - 放蕩息子の帰還

rembrandt_son01.jpg新日曜るかっち美術館へようこそ。

今日のお題は、

レンブラント作
  - 放蕩息子の帰還


この絵の聖書の部分は、

ルカによる福音書 / 15章~にある

「イエスのたとえ話」です。


イエスは言われた。

「ある人に息子が二人いた。弟の方が父親に、『お父さん、わたしが頂くことになっている財産の分け前をください』と言った。それで、父親は財産を二人に分けてやった。

何日もたたないうちに、下の息子は全部を金に換えて、遠い国に旅立ち、そこで放蕩の限りを尽くして、財産を無駄遣いしてしまった。何もかも使い果たしたとき、その地方にひどい飢饉が起こって、彼は食べるにも困り始めた。

それで、その地方に住むある人のところに身を寄せたところ、その人は彼を畑にやって豚の世話をさせた。彼は豚の食べるいなご豆を食べてでも腹を満たしたかったが、食べ物をくれる人はだれもいなかった。

そこで、彼は我に返って言った。『父のところでは、あんなに大勢の雇い人に、有り余るほどパンがあるのに、わたしはここで飢え死にしそうだ。ここをたち、父のところに行って言おう。「お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください」と。』

そして、彼はそこをたち、父親のもとに行った。ところが、まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて、憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した。

はいっ、その場面なのです。続きはこうです。

息子は言った。『お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。』しかし、父親は僕たちに言った。

『急いでいちばん良い服を持って来て、この子に着せ、手に指輪をはめてやり、足に履物を履かせなさい。それから、肥えた子牛を連れて来て屠りなさい。食べて祝おう。この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったからだ。』そして、祝宴を始めた。

ところで、兄の方は畑にいたが、家の近くに来ると、音楽や踊りのざわめきが聞こえてきた。そこで、僕の一人を呼んで、これはいったい何事かと尋ねた。僕は言った。

『弟さんが帰って来られました。無事な姿で迎えたというので、お父上が肥えた子牛を屠られたのです。』兄は怒って家に入ろうとはせず、父親が出て来てなだめた。

しかし、兄は父親に言った。『このとおり、わたしは何年もお父さんに仕えています。言いつけに背いたことは一度もありません。それなのに、わたしが友達と宴会をするために、子山羊一匹すらところが、あなたのあの息子が、娼婦どもと一緒にあなたの身上を食いつぶして帰って来ると、肥えた子牛を屠っておやりになる。』

すると、父親は言った。『子よ、お前はいつもわたしと一緒にいる。わたしのものは全部お前のものだ。だが、お前のあの弟は死んでいたのに生き返った。いなくなっていたのに見つかったのだ。祝宴を開いて楽しみ喜ぶのは当たり前ではないか。』」


お読みになって、どうお感じになられたでしょうか。

このお兄さんと同じように、納得のいかない気持ちになられた方も多いのではないでしょうか。
私も初めて読んだ時はそうでした。

とある神父さんが嘆いていました。

学生たちにこの部分の講義をすると、
なぜか皆、自分を「兄に重ねる」と。

そして、ひいきだ。ずるい!と、学生たちは怒るそうなのですが、自分と「弟」を重ねる人はあまりいないのですね。

しかし実は
このたとえ話でイエスは、人間一人一人を「弟」にたとえているのです。

つまり、「私たち人間」は「弟」なんですね。

そして、ここに出て来る「父」が「天父」のことなのです。

自分を「善人」側に置いてしまうのは人の常ですよね。

「自分は悪い奴だー」なんて常に思う必要もないのだから当然ですが、ここの場面は、皆さん「弟」に自分を当てはめて読んでみてください。どんなお気持ちになるでしょうか。

私の尊敬する西岡文彦氏の著作「名画でみる聖書の世界」にはこう書かれています。

 人間の愛ということでいえば、弟の所業は愛されるには値しない。が、イエスの説く神の愛は、その人間の愛に値しない弟にこそ注がれる

 なぜならば、弟は、兄にないものを持っているからだ。
 それは、悔い改めである。

 兄は、自分の行動に照らして父親の愛を計っている。そのせいで、父親の愛が見えなくなっているのである。愛は自分の功績によって得られるものだというおごりが、兄にはある

兄は、愛が本来、恵みとして与えられるものだという大切なことを忘れているのである。

 じつは、律法学者たちが犯しているのも、この兄と同じ過ちである。

 彼らは、ユダヤの民が神に選ばれたものと信じ、律法さえ守っていれば、神に愛される資格があると思い込むことで、この兄と同じおごりを身につけているのである。

イエスの説いた神の愛は、そうした人間のおごりを超える愛であった


神の愛は、人間の「価値観」や「常識」に拠るものではない。ということをイエスは言いたかったのだと思います。

人間ならば誰でも過ちは犯すのに、「自分は正しい」とふんぞり返る人間より「悔い改めて戻って来る人間」の方が、神からしたら愛しいのでしょう。

「自分は正しい」という「傲慢」や「驕り」だって、神から見れば同じ「過ち」なのですから。

fatherrshand.jpgこの絵の魅力は、なんといっても、放蕩から戻って来た息子を抱くお父さんの「手」だと思います。

本当に慈愛が滲み出ています。

この絵は、レンブラントが「遺書」がわりに描いた作品で、実際に遺作となりました。

この絵でライトアップされて描かれているのは、「父の顔」と「息子を抱く手」の部分です。このことからも、レンブラントの思いが伝わるような気がします。

「天父」から「人間」へ注がれるは、恵みであり、何かの報酬として獲得するものではない。皆、愛されているのだ、と。

晩年は苦難の連続だったレンブラントは、亡くなる前にそれが言いたかった。もしくは、そう信じたかったのかもしれません。

この絵の手が、「地球」を抱く天父の手に見えるのは、私だけでしょうか。


※るかっち美術館

カラヴァッジョ作 慈悲の七つのおこない

アロンソ・カーノ作 キリストとサマリアの女
           「治す」と「癒す」


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